出典:創価大学
創価大学とは創価学会の名誉会長の池田大作氏が創立した大学である。
宗教色の強いこの学校は、かつては学会活動が学生の本分とされていたが、現在は多様性が求められ大分その性質も薄まり普通の大学化が進んでいると言われている。
その実情、7~8割は未だに創価学会の学会員が占めている。
学会員の進学先として親から提案され、特に進学希望がないときにはそのまま進学する、そんな大学にヤリサーは存在しているのだろうか。調べてみた。
創価大学にヤリサーは存在している?
創価学会学会員である創価大学の卒業生から聞かれたのは、ヤリサーは存在しているという言葉である。だが、どのサークルがヤリサーなのかは言及されていない。
体育会系の部活や芸術的文化な部活サークルは情報があまりないので何とも。ただ、私立大学の特色である「建学の精神」をエネルギーにして活動していたことは間違いないです。まあ中にはヤリサーもあったみたいですけど(爆)
ヤリサーと言われるその殆どは「飲みサー」でありヤリサーと紹介することはない。
ヤリサーとして多い例はソフトテニスやスノボーといったサークル、またはインカレのサークルである。人の出入りが多く大所帯でその活動が不明瞭であったり、季節限定のサークルに多く見られている。
人との交流が多いサークルは飲み会が多いので出合いも多い。そうなると男女の誘惑も多く、そういった出会いを求めて入る人もいるためヤリサーと言われるのだ。
ヤリサーに所属する人の考え方は泥酔状態になる前に盛り上がった男女で合意のもとでなら合法でしょということだ。
ただ、本人達の言い訳に周りが同調するかというとそうではないことは覚えておいた方が良いだろう。
また、泥酔状態は犯罪の温床になりやすいというリスクがあることもしっかり把握しておくべきだろう。
泥酔状態では判断力が低下しているため、こんなはずじゃなかったと後悔することにならないように前もってしっかりとボーダーラインを持って置くことが必要だ。
創価大学のヤリサーはやばい?
実際にヤリサーが犯罪的なものであるのは、一部のやばい奴らの行なった犯罪行為のせいだと言われている。早稲田大学や慶應義塾大学、明治大学などの有名な事件は記憶しているのではないだろうか。
ヤリサーと言われるものには二つの種類があり、サークル活動を通して出会いも探せるものとやる事が目的で飲み会ばかり行っているものがあり、後者は危険度が高いと言われている。
どちらにしろ、本来のサークル活動というよりも出合いを目的にしているのがヤリサーだ。
創価大学においては派手にヤリサーが活動するには宗教大学という点からいってもと少し難しい。
創価大学では宗教的な繋がりが強く、創価学会に関するサークルや普段のサークル活動の中にも学会に関する活動があるほどである。
数あるサークルの中にはヤリサーのような活動をしているものがいくつかあるのだなと考えておくのが良いだろう。
どんなサークルがヤリサーになる?
ヤリサーと言われやすいサークルは本来の活動がおろそかで飲み会がやたらと多いサークルになる。
また、サークルの内容としてはソフトテニスがダントツに多く、季節以外は活動することがないスノーボード等も良くあるパターンと言われている。
イベントサークルなども鉄板パターンだ。またパリピといわれるチャラい感じの人が多くいるサークルというのも特徴的だ。
また、インカレサークルにも多く見られている。他校と繋がるインカレは出合いを求めている人も多く、真面目な目的のサークルもあるがその性質的には楽しみたいだけの人が多い。
出合いを目的にした人は自分の学校の人は目標にしないので縁の切りやすい他校に出合いを求める傾向にある。
やけに女の子に声をかけまくる、やたらと飲み会と合宿が多いといった類いのサークル等は危険だろう。
創価大学のサークルを調べるといくつか条件の当てはまるサークルはあるが、活動報告にインスタやX等を活用しその内容を告知している。内容にもヤバい内容が伝わってこない。
サークルによっては学会の活動をしていたりとある意味の健全さが見られる。ヤリサーがあるといっても、出合いを求めるかたちでのわりと健全な方のヤリサーといえる。
若い男女が集まれば出会いを求めるのにはどんな時代、背景でも違いは無いのだ。
まとめ
創価大学にヤリサーはあったという証言から調べてみたものの、ヤバいヤリサーの情報は出てこなかった。
むしろ創価大学のサークルはその活動まで学会に寄与した活動がありやはり創価学会が作った学校ということがよく分かる結果になった。
創価大学のヤリサーの噂は飲みサーが発展したサークル活動も行う、出会いの場となるサークルであったようである。
ただ、ヤリサーと噂されるサークルに所属することで、自身の評判は余り良いものではなくなることを考慮した上で、自身の責任の下で楽しいキャンパスライフにしてもらいたい。